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横浜地方裁判所 昭和45年(ワ)2118号 判決 1974年6月19日

原告

朴鐘碩

右訴訟代理人

中平健吉

外三名

被告

株式会社日立製作所

右代表者

吉山博吉

右訴訟代理人

橋本武人

外二名

主文

一  原告が被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、金一七二万六、二二四円及び内金五〇万円に対する昭和四五年一二月一七日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員並びに昭和四九年二月一日以降本判決確定に至るまで毎月二五日限り、月額金三万二、一〇四円の割合による金員を支払え。

三  原告の請求のうち、本判決確定の日の翌日から毎月二五日限り月額金三万三、五〇〇円の割合による金員の支払を求める部分は、これを却下する。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

六  この判決は、主文二項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一(労働契約の成立)原告、被告間の労働契約の成否について判断する。

1被告が、肩書地に本社を設け、横浜市戸塚区戸塚町五〇三〇番地所在ソフトウエア工場等を有する株式会社であり、昭和四五年八月一九日付朝日新聞名古屋版朝刊の広告欄に、被告会社ソフトウエア工場従業員募集の新聞広告を掲載したこと、原告がこれに応募し、同月二三日被告会社名古屋営業所において、筆記、面接の採用試験を受験して合格したこと、被告は原告宛に同年九月二日付で採用通知書なる書面を発送したことは、いずれも当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、原告が前記採用通知書を受けるまでの経緯は次のとおりであつたことが認められる。

(一)  原告は、昭和二六年(一九五一年)一一月二四日愛知県西尾市中畑町前山八〇番番地にて、父朴乙碩(日本名新井乙碩)、母金南介(日本名新井春子)の間に生れ、その後西尾市立中畑小学校、同平坂中学校を卒業後、昭和四五年三月愛知県立碧南高等学校を卒業し、右卒業と同時に訴外株式会社津田鈑に入社したが、二週間ばかりで退職し、同年四月訴外株式会社ヒカリ製作所(以下「ヒカリ製作所」という。)に入社した。

(二)  ところが原告は、昭和四五年八月一九日付朝日新聞朝刊の前記従業員募集広告欄を見て、被告が同会社ソフトウェアア工場の従業員を募集していることを知り、そのころ当時勤務していた前記ヒカリ製作所を退職したい意向であつたので、右募集に応募することとし、同月二三日右広告で持参必要書類とされた履歴書、身上書を持参して被告会社名古屋営業所において、他の三二、三名の応募者とともに、英語、数学の筆記試験及び面接試験を受験した。

(三)  同月三一日、被告会社は、右応募者中原告を含む七名の者を採用することとし、同年九月一日、原告に対し、原告提出の履歴書記載の現住所宛に「サイヨウナイテイス九ツキ二〇ヒフニンヨテイイサイフミ」ソフトヒタチ」との電報を打つたが、宛先に該当者がいないという理由で原告に届かなかつた。

(四)  そこで翌二日、被告会社は、前記受験当日原告に書かせた身上調書に記載されている原告住所宛にあらためて前記採用通知書を郵送すると同時に、電文の赴任予定日を訂正した「出社日時変更の件」と題する文書を発送したところ、これらは同月四日原告のもとに到達した。

なお、右採用通知書には次のような内容が記載されていた。

「前略、過日は遠いところ御足労頂き有難うございました。

さて、学科試験、面接等種々の選考の結果あなたをソフトウェア工場(空白)として御採用申し上げることに決定致しましたので御通知致します。つきましては赴任につき下記によりおこなわれますよう宜敷くお願い申し上げます。

1 赴任日時 九月一二日(月)午後二時

2  赴任場所 当工場勤労課(横須賀線戸塚駅西口下車徒歩三分)

3  出社日時 九月二二日(火)午前八時四〇分まで

4  出社場所 当工場勤労課

5  赴任携行品その他について

◎日常の身の廻り品(着替、ネマキ、日用品、洗面具、雨具、上履など)

◎(必須品)印鑑、戸籍謄本、卒業証明書、成績証明書、筆記具、転出証明書(転出先は入寮先の住所にして下さい)、選挙人名簿登録証明書(二〇才以上の方のみ)

◎(職歴のある方のみ)厚生年金保険証、失業保険証、退職証明書(前勤務先のものです)

(当日持参が無理なものがありましたら出社後で結構です)

◎当座の現金(約一ケ月間の生活費)

◎寝具(寮には予備の寝具はありませんので早目にお送り下さい)

◎荷物を送る際は次の宛名にし、必ず運賃領収書を受領の上持参下さい。(赴任日より前日に必着するよう手配すること)

「横浜市港南区最戸町二四八、日立ソフトウェア工場渡井寮」(荷受人はあなた宛にしてください)

◎当社旅費規定により支給します。

6  当日赴任できない場合

都合により当日赴任できなかつた場合は、電報か速達で弊方へ御連絡下さい。後日改めて弊方から御指示致します。

以上」

(五) さらに同月四日、被告会社ソフトウェア工場総務部勤労課採用係石沢美津子は、入寮に関する書類を原告宛に送付しなかつたものと誤解し、原告に対し、入社試験に合格したので、入寮を希望するか否か確認する電話をしたところ、原告が入寮する旨回答したので、同日付の「入職日変更の件」と題する文書を原告宛に送付した。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

2 しかして、以上の事実によると、被告が従業員募集の新聞広告を掲載したことは労働契約申込の誘引と解すべきであり、原告がこれに応募して被告会社の採用試験を受験したことは原告から被告に対する労働契約締結の申込になるものというべきである。

そして、前記認定の事実、とくに右採用通知書の記載によれば、「種々の選考の結果あなたをソフトウェア工場(空白)として御採用申し上げることに決定致しました」として、寝具等の送付を手配させ、転出先を入寮先の住所にした転出証明書等の持参を要求していること、被告会社においては、昭和四五年九月一日発信の電文では「サイヨウナイテイ」としながら、右採用通知書においては「御採用申し上げることに決定」として、「内定」と「決定」とを使い分けているとみられること及び被告会社は、かなり厳格な筆記面接の従業員採用試験を行ないこの試験の過程を通じて採否を決するに必要な資料を或程度蒐集し得ており、さらに本件採用が年度途中のいわゆる中途採用であり、採用試験と就労日の間隔が約一ケ月位しかなく、採用通知書発送から実際の就労日まで二〇日足らずの期間しか存しないなど、被告が労働力を緊急に必要としていた事情が推認できること等を考慮すると、被告から原告に対し前記採用通知書が発送されたことにより、被告の原告に対する労働契約締結承諾の意思表示がなされたものと解するのが相当である。したがつて、原告、被告間の労働契約は、承諾の通知を発した昭和四五年九月二日に成立したものというべきである。

3(一) 被告は、被告会社においては、採用試験合格者のうちその指示した日時に必要書類を持参して出頭した者について、採用の要件を満していれば、その者との間に会社所定の労働契約書をとりかわし、ここにはじめて労働契約が成立する旨主張する。

<証拠>によれば、被告会社では採用試験合格者中、指定日時に出頭した者から必要書類の提出を受けて係員がこれを確認し、その後労働契約書に署名捺印する慣行のあることが認められるが、一方<証拠>によれば、右必要書類中、採用試験合格者において当日持参できないものがあれば出社後提出しても差しつかえないものとされていることが認められるのであるから、右必要書類の提出は労働契約締結の不可欠の要件であるとはみなすことはできず、さらに労働契約書の署名捺印も前記の採用通知書等の記載と対比すると、一種の確認行為に過ぎないというべきである。

(二) 次に被告は、前記採用通知書を発送した段階で労働契約が成立したとすると、この段階では賃金額が定まつているだけで、労働条件の詳細は一切合意に達していない旨主張するけれども、<証拠>によると、採用通知書発送までに、労働条件のうち最も重要な賃金額、職種、就業場所は既に決定していたものということができ、しかも、とくに被告会社のような大企業と一労働者との間の労働契約は、特殊な例外の場合を除いては、いわば一種の付合契約であつて、その詳細な内容が個々の労働者との間で区々に定められるものでないことは明らかであるから、その他の原告の労働条件の細目についてまでの合意がないからといつて、前記のとおり採用通知書発送時をもつて労働契約が成立したとすることの妨げとなるものではない。

(三) さらに被告は、採用通知書受領者のうち約半数の者しか指定日時に出頭しないのであるから、右採用通知書発送時をもつて労働契約が成立したとするのは不合理である旨主張する。<証拠>によれば、従来から行つていた臨時員の募集の経験からすると、採用通知書受領者のうち約半数の者しか指定日時に出頭していないこと、不出頭の者については結果的に出てきてもらえないということでそれきりにしている事実を認めることができるけれども、本件採用が中途採用であることや前記採用手続の一連の経過から考えると、不出頭の応募者については、成立した労働契約に基づく権利を放棄したもの、あるいは義務を履行しなかつたとしても、被告はこれが責任を不問にする取扱いにしているものとも解し得ないわけではない。とくに本件の原告に関しては、<証拠>によれば、当時稼働していたヒカリ製作所を退職したい気持が強く、被告会社の採用試験に合格すれば是非被告会社に就職したいと考えており、事実昭和四五年九月一五日限りで右ヒカリ製作所を退職していることが認められるのであるから、右被告主張のような事実があるからといつて、前記採用通知書の発送が労働契約締結の承諾であると解することに支障はない。

二(臨時員)次に、本件が所員としての労働契約か臨時員としての労働契約かの点について判断する。

1<証拠>によれば、被告会社には労働契約の相違により、所員としての従業員と臨時員としての従業員とが存在し、臨時員は

①  日々雇入れられる者

②  二ケ月以内の期間を定めて使用される者

③  前二号のほか特定された期間又は特定の期限まで使用される者

で、通常は必要の都度新聞広告によつて公募し、学科、面接の採用試験に合格した者について出社日時を定めて出頭させ、必要書類等を点検したうえで臨時員としての労働契約書に署名捺印すること、所員と臨時員とは賃金体系等においても差異があり、所員は原則として学校新規卒業者を採用する関係から学校卒業年度を基準として賃金を定めるのに対し、臨時員は随時必要に応じて採用することからその者の実年令を基準として賃金を定めることになつていること、本件採用業務は、被告会社ソフトウェア工場に昭和四五年八月頃から同四六年三月頃までの期間に約二〇〇名の臨時員(契約期間前記②)を採用する計画の一環として行なわれたこと等を認めることができる。

2ところで原告は、被告が本件募集ないし労働契約締結に際して臨時員として採用する旨を明示していないから、原告は所員として採用されたと主張する。

(一)  なるほど<証拠>によれば、被告会社の従業員募集の新聞広告には「登用制度あり」とする以外、臨時員の募集であることは何ら明示されておらず、また前記採用通知書には、所員と臨時員との区別を表示する文言を捜入する予定であるとも解される部分が空白になつていて、他に臨時員であることを窺わせるに足りる記載が何らなされていないことを認めることができ、しかも、右新聞広告の「登用制度あり」という文言が、それのみによつて直ちにいわゆる「臨時社員」の募集であることを明瞭に表現する言葉として、社会一般に通用しているとは断定し難いところがある。

(二)  しかし、前記1項の認定事実によれば、被告会社の意図としては、原告ら学校既卒業者を臨時員として採用しようとしたものであることは明らかであるところ、<証拠>によれば、前記従業員採用試験の際、筆記試験の開始前に被告会社担当者が本件採用試験が臨時員のそれであつて契約期間は二ケ月である旨説明し、さらに面接試験中にも賃金等の説明に当つて面接試験担当者から原告に対し同旨の説明がなされていることが認められ(この点に反する原告本人尋問の結果は前掲各証言に照らし信用できない。)るのみならず<証拠>によれば、原告と同時に採用試験を受験し被告会社に採用された六名の者が、いずれも臨時員として被告会社に入社し、その後雇傭期間を更新されて従業していることを認めることができるから、これら事実から考えれば原告は傭用期間二ケ月の臨時員として採用されたものというべきである。

三(解雇無効)

1昭和四五年九月一七日、被告が原告に対し、原告が本籍、氏名等を詐称したことを理由にその採用(被告の主張によれば採用内定)を取消す旨伝えたことは当事者間に争いがないが、それより以前の同月二日をもつて原告・被告間に労働契約が成立していることは前説示のとおりである。前認一の1項に認定の事実に<証拠>を併せ考えると、原告が試験当日記載し被告に提出した身上調書には、その末尾に「この調書に私が記載しました事項はすべて事実であり、偽り、誤り、重要な事項の記入漏れがありません。もし、偽り、誤り、重要な事項の記入漏れがありました場合は採用取消解雇の処置を受けても異議を申し立てません。」旨明記されており、原告も右記載を承知で必要事項を記載し署名捺印したことが認められるので、これによれば、原告が被告に提出する身上調書等の書類に、労働力の評価基準であるべき諸般の事項につき被告企業に正当な認識を与えるよう真実を記載することを約し、もし右に反し虚偽の記載をし、真実を秘匿してこれを詐称したような場合は、後日これが判明したとき、被告においてこれを原因として原告との労働契約を解約しうる旨の合意があつたものと推認できる。そうすると、原・被告間の前記労働契約には右のような解約権が留保されていたもので、被告が前記採用(内定)取消の意思表示としているのは、右留保解約権の行使としての意思表示を主張しているものと、解すべきである。

よつて、以下留保解約権行使に基く本件解雇の効力について検討を加える。

(一)  昭和四五年八月二三日、原告が被告会社従業員採用試験を受験した際、履歴書の本籍記入欄に「愛知県西尾市中畑町前山八〇」と記入し、履歴書、身上書、身上調書の各氏名記入欄に「新井鐘司」と記入して被告に提出したことは当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、原告は右履歴書、身上書の現住所記入欄に「愛知県名古屋市南区松池町二―四二」と記載し、右履歴書には職歴を何ら記載していないことを認めることができる。

(二)  ところで、原告が在日朝鮮人であることは当事者間に争いがないのであるから、原告には日本戸籍法にいう本籍が存しないことは明らかであり<証拠>によると、外国人登録証明書中「国籍の属する国における住所又は居所」は慶尚北道達城郡月背面辰泉洞四〇〇とされている)。、又原告の本名が「朴鐘碩」であることは本件訴訟上明らかである。さらに<証拠>によれば、右採用試験受験当時、原告の住所は「愛知県西加茂郡三好町字福谷狐洞五一ヒカリ製作所三好寮内」であつたことが認められ、前記一の1の(一)項のとおり原告は昭和四五年三月から二週間ばかり、株式会社津田鈑に勤務し、同四月からヒカリ製作所に勤務していたことが認められるのであるから、原告は履歴書、身上書および身上調書に右「本名」を記載せず、履歴書の「本籍」、履歴書と身上書の「現住所」に虚偽の記載をし、履歴書に右「職歴」を記載しなかつたことが一応明らかである。

(三)  しかして、被告会社が、右詐称等の事実を知つた経緯等は、<証拠>を総合すると、次のとおりであつたことを認めることができる。

(1)  被告会社面接試験担当官久保寺誠は、原告に面接した際、原告が前記のように記載した履歴書、身上書および身上調書の本籍、氏名等について、その各記載の真偽を問うたところ、原告はこれに対し右記載が真実である旨答えた。

(2)  ただ、右の際、久保寺は、身上調書と身上書および履歴書の現住所の記載に齟齬があることに気がつき、右の点を原告に質問したところ、原告は「現在ヒカリ製作所に勤務しており、同社の寮に住んでいる。」旨を答えた。そこで、久保寺は、「履歴書に右職歴を何故記載しなかつたのか。」と問い質したのに対し、原告が「新しく入る企業にとつて職歴は良くないんではないかと思つて記載しなかつた。」旨答えたので、さらに久保寺は「職歴の有無が採否に影響することがない。」旨を答え、続けて右ヒカリ製作所の規模、業務の内容、職場の構成、雰囲気等を質問し、原告の回答を得た。

(3)  その後、前記採用通知を受けた原告は、赴任の準備をしていたが、同年九月一五日右通知書と他の郵送書類とで入寮先が異つていることを発見し、同日、被告会社ソフトウェア工場に電話して、入寮先として「渡井寮」と「井上寮」との二種の通知を受けているがいずれへ入寮すべきか確認したところ、応待に出た同工場総務部勤労課採用係主任当麻隆は「井上寮」へ入寮するよう指示した。その際原告は右当麻に対し「自分は在日韓国人であるから、戸籍謄本はとれない。」旨告げたところ、これに対し当麻は即座に「採用通知は保留にしておいてほしい。あした連絡します。」と答えた。

(4)  翌一六日、右当麻は同工場総務部長沖田正に事態を報告したところ、結局被告会社は原告の採用を取消すことに決定した。

(5)  翌一七日、被告会社から連絡がないので、原告が右当麻に電話で先日の結果を問い合わせたところ、右当麻が「当社は一般外国人は雇わない。社内規定にも書いてある。迷惑したのはお宅の方ではなく私の方です。あなたが本当のことを書いたらこんなことにならなかつた。」と答え、原告が「どうしても入社できないか。」と尋ねたのに対し、右当麻が「今回は諦めて下さい。」と言つて、「採用を取消す」旨伝えた。

(6)  同日被告会社は、右原告との電話の後、原告の高校時代の担任教師兵藤教諭に電話して、原告が在日朝鮮人であることを確認したうえ、右兵藤教諭に、原告が被告会社入社を断念するよう説得方を依頼した。

以上の事実を認めることができ、<証拠判断省略>。

(四)  また一方、<証拠>を総合すると、原告が履歴書、身上書および身上調書に前記のような虚偽の本籍を記載し、本名を記載しなかつた動機ないしはその社会的背景には、次の事実があつたことが認められる。

(1)  原告は、前記一の1の(一)項のとおり、終戦(第二次世界大戦、以下も同じ)前から、日本に居住する朝鮮人の両親の許に生れ、日本において育ち日本の学校を卒業した在日朝鮮人であるが、現在、日本には在日朝鮮人が約六〇万人居住し、その約七割が原告と同じような境遇にある。

(2)  これら在日朝鮮人は、現在日本国籍を有しない外国人となつているが、これらの人あるいはその両親は、その大部分が終戦前、とくに一九一〇年のいわゆる日韓併合条約(韓国併合に関する条約)締結のころから多く来日し、引続き日本に居住しているもので、その中にはなかば強制されて日本に連行されて来た人達もいる。

これらの人達は、右条約によつて日本国により日本国籍が与えられたが、日本の国籍法上の日本国籍は有しないという特別な地位におかれ、法的にも内地人たる日本人と差別されていた。また、一九三九年一二月の当時の日本国政府の「創氏改名」の政策により、在日朝鮮人はすべて日本式氏名を名乗らせられ、また日本人と同じ学校に入り、日本人に同化する教育を受けた。

こうしたなかで、在日朝鮮人は、日本人の中に入つて生活していくことになつたが、少なくとも就職に関しては社会的地位の低い職種にしか就職できず、一般に極めて低い労働条件のもとで働かされるという差別を受けていた。

(3)  終戦後の一九五一年九月八日日本国は連合国との間にいわゆるサン・フランシスコ平和条約を締結(一九五二年四月二八日発効)したが、右条約には朝鮮の独立に関連する国籍の問題について何らの規定もなく、その後一九六五年六月二二日に至り日本と韓国との間に「日本国と大韓民国間との基本関係に関する条約」が締結され、さらに「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」がとりかわされたが、ここでも直接国籍の問題は触れられず、ただ後者においては大韓民国国籍の保有を前提としての在日韓国人の永住許可、法的待遇等の問題を定めていたことから、その後の行政解釈ないし裁判例は前記協約、協定の解釈として、少なくとも韓国国籍を持つ在日朝鮮人は、前記平和条約の発効する一九五二年四月二八日から日本国籍を喪失し、同時に公布施行された外国人登録法の適用を受けて法的に外国人としての扱いを受けるようになつた。

そして、前記協定により日本国で永住することを許可されたが、戦後も現在に至るまで、在日朝鮮人は、就職に関して日本人と差別され、大企業にほとんど就職することができず、多くは零細企業や個人経営者の下に働き、その職種も肉体労働や店員が主で、一般に労働条件も劣悪の場所で働くことを余儀なくされている。また在日朝鮮人が朝鮮人であることを公示して大企業等に就職しようとしても受験の機会さえ与えられない場合もあり、そのため在日朝鮮人のなかには、本名を使わず日本名のみを使い、朝鮮人であることを秘匿して就職しているものも多い。右のような現状は、在日朝鮮人の間では、広く知れわたつている事実であり、いわば常識化していることである。そして、又、我国の一流と目される大企業の間においても、特殊の例外を除き、在日朝鮮人が朝鮮人であるというだけの理由で、これが採用を拒み続けているという事実も、公式に或は積極的な表現こそ避けてはいるものの、当然のこととし常識化しているところである。

(4)  原告は、右の多くの在日朝鮮人と同じように、生れたときから、日本名「新井鐘司」を命名され、以後日本の小、中、高等学校でも終始、右日本名のみを使い、同僚や教師からも同様に呼ばれており(卒業証書等における氏名も同様である。)、本名の「朴鐘碩」は自ら使用した生活場面もなく、ただ外国人登録証明書や運転免許証などのわずかの公文書のうえで見かけたに過ぎない縁遠い名前となつていた。

また、原告は、親兄弟や周囲の同胞の体験を知つて行く中で、前記の在日朝鮮人に対する就職差別の現実を知り、被告のような大企業に就職しようとする際、履歴書の本籍欄に「本籍なし」とか「慶尚北道  」(外国人登録証明書中の国籍の属する国における住所、又は居所)と記載することは、とりもなおさず原告が在日朝鮮人であることを公示することとなり、そうなれば就職はおろか受験の機会すら奪われる心配があると思うようになつた。

そのため、原告は、履歴書、身上書および身上調書の氏名欄に通名となつている「新井鐘司」を記載し、履歴書の本籍欄には自己の出生地(両親の現住所と同じ)を記載して、被告に提出した。

なお、原告は、学校の成績も良く、簿記一級、珠算三級の資格を有していたので、採用された後被告に朝鮮人であることが判明されたとしても、真面目に働いてさえいれば、解雇されることはないものと予測していた。

(五)  ところで、一般には留保解約権に基く解雇は、通常の解雇の場合よりも広い範囲における解雇事由が認められるのであるけれども、留保解約権の行使は解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的合理的で社会通念上相当の場合にのみ許されるものといわなければならない。そして、本件では前記のとおり、身上調書等の書類に虚偽の事実を記載し或は真実を秘匿した場合における解約権留保が定められているのであるが、被告会社の臨時員就業規則には、後記2記載のとおり、同趣旨の労働者に経歴詐称等の不都合の行為があつたときは懲戒解雇の一事由とされているのであるから、右の解約権留保の特約は懲戒事由と同一或は類似の要件をもつて解約権行使の原因としたものと解することができる。したがつて、本件における解約権留保の趣旨、目的及びその解約権行使の要件は、単に形式上「身上調書等の書類に虚偽の事実を記載し或は真実を秘匿した」事実があるだけでなく、その結果労働力の資質、能力を客観的合理的にみて誤認し、企業の秩序維持に支障をきたすおそれがあるものとされたとき、又は企業の運営にあたり円滑な人間関係、相互信頼関係を維持できる性格を欠いていて企業内に留めておくことができないほどの不信義性が認められる場合に、解約権を行使できるものと解すべきである。そして、右の不信義性は、詐称した事項、態様、程度、方法、動機、詐称していたことが判明するに至つた経緯等を総合的に判断して、その程度を定めるべきものと解する。

右の見地から本件を見るに、原告の労働力の資質、能力の誤認については問題がないというべきであるから、その不信義性について検討する。

(1)  前記によれば、原告は、原告の本籍、氏名、現住所、職歴等について、一応真実でない記載をした履歴書等を被告会社に提出し、被告会社面接担当者の質問に対し本籍及び氏名について、右記載を真実である旨真実とは異なつた回答をしたものというべきであり、その結果、被告会社は右本籍、氏名について原告の申告が真実でないことに気づかず、真実であると信じて、原告との間に労働契約を締結することにしたものであることを認めることができる。

(2)  しかし、原告が履歴書、身上書に真実の現住所及び職歴を記載しなかつた点について考えると、右は、その後原告自らが進んで前記「身上調書」に真実を記載してそのうえで採用面接試験を受験しており、しかも被告会社においてもこれを了解したうえで原告の採用を決定しているばかりでなく、真実の現住所(「ヒカリ製作所三好寮内」)を記載しなかつたのは、真実の職歴を記載しなかつたことに由来すると推認されるのであるから、右現住所及び職歴の問題は、結局真実の職歴を記載しなかつたことの一事に尽きることになる。ところで、原告が前記ヒカリ製作所に勤務していた期間は五ケ月有余、その前の株式会社津田鈑に勤務した期間は約二週間と比較的短期間であり、その職種も前者のときは経理要員、後者のときはプレス工であつて、いずれも被告会社において勤務を予定されているソフトウェア要員とは職種が異なるばかりでなく、前記採用面接試験担当者が前職歴は採否に影響しないと説明しているように、被告会社自身原告の前職歴をさして重要視していないこと等を考え合せると、原告が履歴書等に真実の現住所及び職歴を記載しなかつたことは、本件原告に対する解約権行使の事由としては重要性に乏しいものとせざるを得ない。

(3)  次に、原告が履歴書等に本名、本籍について真実の記載をせず、採用試験受験に当つて真実を申告しなかつた点について検討すると、前記1の(四)項のとおり、在日朝鮮人である原告にとつて日本名「新井鐘司」は、出生以来ごく日常的に用いて来た通用名であり、これを「偽名」とすることはできないばかりでなく、原告が氏名に本名「朴鐘碩」を使用し、本籍につき真実を申告することはとりもなおさず原告が在日朝鮮人であることを公示することになるのであるから、原告が被告会社に就職したい一心から、自己が在日朝鮮人であることを秘匿して、日本人らしく見せるために氏名に通用名を記載し、本籍に出生地を記載して申告したとしても、前記のように、原告を含む在日朝鮮人が置かれていた状況の歴史的社会的背景、特に、我が国の大企業が特殊の例外を除き、在日朝鮮人を朝鮮人であるというだけの理由で、これが採用を拒みつづけているという現実や、原告の生活環境等から考慮すると、原告が右詐称等に至つた動機には極めて同情すべき点が多い。

一般に、私企業者には契約締結の自由があるから、立法、行政による措置や民法九〇条の解釈による制約がない限り労働者の国籍によつてその採用を拒否することも、必ずしも違法とはいえないのである。しかし、被告は表面上、又本件訴訟における主張としても、原告が在日朝鮮人であることを採用拒否の理由としていない(しかし、被告の真意は後記認定のとおりである。)ほどであるから、原告が前記のように「氏名」、「本籍」を詐称したとしても(その結果、被告会社は原告が在日朝鮮人であることを知ることができなかつたとしても)、これをもつて被告会社の企業内に留めておくことができないほどの不信義性があり、とすることはできないものといわなければならない。

(4)  以上によつて、原告に、被告の臨時員(ソフトウェア要員)として引続き留めておくことができないほどの不信義性がないこと明らかとなつたのであるから、前記留保解約権の行使は許されないというべきである。

2次に懲戒解雇の効力について検討するに、前掲乙第四号証によれば、被告会社の臨時員就業規則には七二条の二四号に「経歴を詐り又は詐術を用いて雇い入れられたとき」、二七号に「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があつたとき」は懲戒解雇事由になりうるものと定められていることが認められる。

しかしながら、前述のとおり、留保解約権に基づく解雇は通常の解雇の場合よりも広い範囲における解雇事由が認められているのである。加うるに、留保解約権に基く解雇が許されないこと叙上の理由のとおりであるから、通常の解雇も懲戒解雇も許されないこと、これ又自明のことと言うべきである。よつて、被告のこの点に関する主張も採用の限りでない。

3被告は、原告が被告会社に応募した際、本籍等について虚偽の申告をなしたため、採用に当り会社が必要とする戸籍謄本等の書類を提出することができず、採用の要件を充足することが不可能であることが判明したので、原告の採用内定を取消した旨主張するが、戸籍謄本等の提出は、労働基準法等の定める人事管理上の必要から要請されることがあるのは格別、前記に説示のとおり労働契約締結の要件とはいい難いことは明らかであるから、右主張はその前提において失当というべきである。

4そこでさらに進んで、被告会社がいかなる理由で原告を解雇するに至つたかという点について考察するに、右のとおり被告が原告を解雇するほどの客観的に合理的な理由が乏しいばかりでなく、右解雇に至る事情、とくに前記のとおり、昭和四五年九月一五日以降同月一七日までの間の原告と被告会社との電話による交渉の経緯、すなわち、原告が在日朝鮮人であることを告げるや直ちに被告は採用を留保しておいてほしい旨述べたこと、その後会社側から連絡する旨約束しておきながら被告は同月一七日原告から問い合せがあるまで回答せず、右回答の内容も一般外国人は雇わない旨告げて原告の採用を取消する旨話していること、さらに右採用取消をするについても、できうればこれを救済して採用の取消を避けるよう配慮した形跡が見受けられないこと、及び同日被告会社は、原告に対し採用しないことにした旨告知した後に、原告の高校時代の担任教師に連絡をとつて原告が在日朝鮮人であることを確め、被告会社の入社を断念するよう説得方を依頼している等の事情を併せ考えると、被告が原告に対し採用取消の名のもとに解雇をし、あるいはその後格別の事情もないのに本訴において懲戒解雇をした真の決定的理由は、原告が在日朝鮮人であること、すなわち原告の「国籍」にあつたものと推認せざるを得ない。

5そうであるとすれば、被告の原告に対する前記留保解約権による解雇及び懲戒解雇の意思表示がいずれも許されないこと前述のとおりであるし、そのうえ、労働基準法三条に牴触し、公序に反するから、民法九〇条によりその効力を生ずるに由ないものというべきである。

四(賃金等)

以上のとおり、昭和四五年九月二日に原告と被告との間の臨時社員としての労働契約が成立し、原告は被告会社の臨時社員としての従業員たる地位を取得したものというべきである。

そして、原告が遅くとも同年一〇月一日以降被告に対し労務の提供を申出ていることは弁論の全趣旨から明らかであり、被告が原告を従業員でないとしてその就労を拒否していることは当事者間に争いがないから、原告が右従業員たる地位にあることの確認を求める利益がある。

また、原告は被告に対し、少なくとも同日以降の賃金債権を有するところ(<証拠>によると、前述の二ケ月の雇傭期間は特段の事由がない限り更新されることが認められる。)、その額については、<証拠>によれば、

昭和四五年一〇月以降同四六年三月まで月額金二万八、七三六円の割合で 計金一七万二、四一六円

昭和四六年四月以降同四七年三月まで月額金三万〇、〇八三円の割合で 計金三六万〇、九九六円

昭和四七年四月以降同四八年三月まで月額金三万〇、九八一円の割合で 計金三七万一、七七二円

昭和四八年四月以降同四九年一月まで月額金三万二、一〇四円の割合で 計金三二万一、〇四〇円

右合計金一二二万六、二二四円であり、同年二月以降も少なくとも月額金三万二、一〇四円であることが認められ、その支払時期については、弁論の全趣旨によれば、毎月二五日限り支払われていることを認めることができる。

五(慰藉料)

次に、原告の慰謝料請求について考えるに、原告と被告間の労働契約が成立し、原告が前職場を退職した直後に、被告は、合理的な解雇理由がないのにかかわらず、原告が在日朝鮮人であることを理由にこれを解雇したのであるから、前述のとおり、労働基準法三条、民法九〇条に反する不法行為となることは明らかである。

また、被告は、本件臨時員の募集採用にあたつて、合理的理由のない民族的偏見から在日朝鮮人を差別して、これを採用しない方針を定めておきながら、表面上外部に対しては、原告の解雇はもつぱら本籍氏名を詐称した形式的理由によるものと巧妙にいつわつているのであるから、原告は自己の正当な権利を被告に主張するには訴訟を提起する方法によらざるを得ないところである。

そして、原告が本件訴訟を提起し維持してきたことについて相当の経済的負担と精神的苦痛を重ねてきていることは推察するに余りがある。

また、<証拠>によると、原告はこれまで日本人の名前をもち日本人らしく装い、有能に真面目に働いていれば、被告に採用されたのち在日朝鮮人であることが判明しても解雇されることはない程度に甘い予測をしていたところ、被告の原告に対する本件解雇によつて、在日朝鮮人に対する民族的偏見が予想外に厳しいことを今更のように思い知らされ、そして、在日朝鮮人に対する就職差別、これに伴う経済的貧困、在日朝鮮人の生活苦を原因とする日本人の蔑視感覚は、在日朝鮮人の多数の者から真面目に生活する希望を奪い去り、時には人格の破壊にまで導いている現状にあつて、在日朝鮮人が人間性を回復するためには、朝鮮人の名前をもち、朝鮮人らしく振舞い、朝鮮の歴史を尊び、朝鮮民族としての誇りをもつて生きて行くほかにみちがないことを悟つた旨その心境を表明していることが認められるから民族的差別による原告の精神的苦痛に対しては、同情に余りあるものといわなければならない。

したがつて、本訴において原告の地位確認および賃金請求が認容され労働契約成立時以降の賃金相当額の支払を受けたとしても、なおその苦痛を償いきれるとは認められない。そこで、本件解雇に至つた前述の経緯等諸般の事情を斟酌するとき、その精神的損害を償うには、被告は原告に対し、原告の主張するとおり、少なくとも金五〇万円を慰謝料として支払うのが相当である。したがつて、被告は原告に対し、右金五〇万円及びこれに対する不法行為発生後であることが明らかな昭和四五年一二月一七日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

六(むすび)

以上のとおり、原告の本訴請求は、被告の従業員としての地位を有することの確認を求める点、前記四項の限度で賃金の支払を求める点及び慰謝料の支払を求める点のいずれについても理由がある。但し、右賃金請求のうち前記四項の認定額を超える部分(所員として賃金額)は理由がなく、また一部将来の賃金額の給付を求めているが、本判決が確定して原告が被告の従業員たる地位が定まれば、その時において、被告の任意の履行を十分期待できるしその可能性もあるのであるから、本件判決確定の日の翌日以後の分についてまで、現在において将来給付の請求を求める必要性がないと解するのが相当である。したがつて、賃金支払請求は、前記四項に認定の賃金額の限度で、かつ判決確定時までの分について認容して、右同日までのその余の部分を棄却し、判決確定の日の翌日以後の分については訴の利益がないから却下する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(石藤太郎 佐藤歳二 山野井勇作)

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